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そんなんじゃ落ちこぼれるという言葉に不安になったあなたへ|子育てをめぐる一つの視点

作成日2026/3/4  更新日

#日記#受験


子どもの幸せを願うほど、親はイライラしてしまう

多くの親は、いつだって子どもの幸せを願っている。しかしその「幸せ」は、子どものいまだけではなく、将来や未来を想定したものであることが多い。だから子どもからすれば、「あなたのことを思って」言ってくれたことが受け入れられないこともある。そうすると親はなんで親の言うことが聞けないんだとイライラする。

そのイライラの原因は、子どものためを思っているのになぜ親の想定する行動をとらないのか?ということであろう。

子育てのややこしいところは、子どもと親は別人格であるにもかかわらず、子どもが思い通りにコントロールできるようにみえてしまう点だ。実際、生活習慣や学習習慣など、親がある程度影響を与えられる部分もある。しかしやはり全部はコントロールできない。だからイライラする。

しかも子どもと親の関係性や子どもと親の気質、周囲の環境などの要因で、コントロール性は結構変わってくる。うまくコントロールできている親はよくみえるし、実際に結果まで出していると、親は自分の子どももうまくコントロールしないといけないと焦る。

過干渉はよくないけど放任もよくないとはよく言われることであるが、そもそもどこまでが過干渉でどこまでが放任なのかは明確な基準があるわけではない。

SNSが親の不安をさらに大きくする

現在はSNSの普及により、受験の際に親がそれだけ手をかけてあげているか、わかるようになってしまった。受験で成功した親が自身の経験を配信することも増えている。

子どもの年齢が低いと、親が勉強を手伝う範囲は増えてくる。そこで子供の学習をどこまでコントロールするか、子どもの自主性に任せるかー親は揺れる。その際に投げかけられる言葉が、「そんなんじゃ落ちこぼれる」「それじゃ遅い」などの言葉である。

落ちこぼれるは親の不安をあおる。不安になった親は子どものコントロールしようとする。自分の不安をぶつけることもあるだろう。

教育ママは「個人の問題」ではなく構造の問題

不安になることは仕方がない。教育に熱心な母親を揶揄する言葉として教育ママという言葉があるが、教育ママが生まれる土壌(構造といってもいい)が日本にはある。日本は学歴社会の傾向が強く、とくに進学した高校がその後の進路を一定程度規定することはよくいわれてきた。

そのため、できればいい高校(都市部では中学から中高一貫のルート)に進み、いい大学に進学、結果いい会社に進んでいい人生を歩んでほしいー教育ママはそう願う。教育ママの熱心さは否定的にみられることも多いが、それを母親の意識の問題と捉えていては、教育虐待などの問題は防げるはずはない。

不安に駆り立てられる構造が社会にはあるのだ。だからといってなにもかも社会のせいにしていては立ち行かない。そこで大切なのが、親自身が競争こそがすべてという視点を飼いならし、別の視点をもってみるということだ。

親自身が不安になるのは構造の問題だから仕方がない。でも構造は変化している。

受験競争の構造は変わりつつある

団塊ジュニア世代や氷河期世代は限られた椅子を奪い合う受験競争、就職戦争がし烈だった時代である。当時は「よい大学に入ること」が、人生の安定に直結すると広く信じられていた。

わたしの受験期はその世代より少し後で、多様な入試形式が出てきていた。現在は少子化がすすみ、受験人口は減少、大学全入時代である。一部のトップ大学はさておき、いわゆる有名私大ですら、今後ますます多様な入試形式を取り入れざるをえないと思われる。かつてのような同じテストで一斉にふるいにかける構造はかわりつつある。

さらに子どもたちはAIが当たり前にある時代に働くことになる。知識をできるだけはやく正確に再生できるかー客観的なテストで問われるような学力だけでは、十分とは言えなくなりつつある。

テストで点数を取ってくれると親は安心するが、テストの点数が学力を表しているか?学力に対する考え方も変化している。少なくとも今の学習指導要領では知識の再生よりも、知識をいかに使えるかという点が非常に重視されている。テストで点を取るための丸暗記では、知識の活用能力は身につけることが難しい。

知識の活用を思考力といいかえてもよいが、思考力をつけるためには本人が考えなくてはならない。考えるためには時間が必要で、焦ってどうこうなるものではない。また探究活動も重視され、実際入試で利用されることもある。探究では自身の関心に基づいて課題を設定しなければならないので、詰め込み勉強が得意な層がつまずくこともある。

もちろん知識は大切で、知識を軽視しているわけではない。しかし、テストのために暗記してテストが終わればなにひとつ覚えていないーそんなことに貴重な時間を何時間もかけるのは、あまりにも無駄ではないか?

「今できない=落ちこぼれ」ではない

くわえてテストはその時点のその子の理解を確認するものである。なので、8月には理解できなかったことが、3月には理解できていても、3月にテストは実施されないのでその子の点数は8月のままである。

しかし名門大学を出ているような人でも、小学生の時は簡単な文章問題がわからなかった時期があったというケースも多々ある。その時点でわからなくても、時間がたてば「こうだったのか!」とわかるということは普通にある。ある時点でできてないからといって、すぐに落ちこぼれるなんてことはあり得ない。

親ができることは「勝たせること」だけではない

わたしたち親はかつての社会構造を経験しているので、子どもの幸せを願って、その構造でできるかぎり勝者でいてほしいと願っている。勝てば幸せな人生を歩めると信じているから。だからとにかく点数を取る、偏差値を上げる、それが勝つことだと信じている。

しかしながら現代の子供たちは違う時代を生きていく。それでもなお、小学校から高校までを受験に勝つためだけの訓練期間にしていいのだろうか。受験に勝つだけがすべてではない時代が本当にやってきている。

大切なのは、その子自身が多様な時代に自分の人生を生きられるかである。こうすれば幸せになるというルートがないということは自由であるが、その分自分で生き方を考えていけないということであり、不自由な面もある。その不自由さを楽しめる人間になってほしいーそれが親の願いになるのかもしれない。

受験に駆り立てられること自体が悪いわけではない。本人が望み、自分の責任で挑戦するのであれば、それはひとつの選択である。

しかし親がそこに深く関わるとき、「勝つことだけがすべて」という視点だけを持っていると、いずれ苦しくなるのは親自身かもしれない。