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「優しくして」という声掛けで子どもは優しくなれるのか

作成日2021/5/1  更新日

#日記#食事


兄弟げんかはして当然のはずだが・・・

兄弟喧嘩は子どもが複数いる家庭では確実に悩みの種になる。

私は一人っ子なのでそもそも兄弟がどのような存在なのかがわからない。
仲のいい兄弟もいれば、仲の悪い兄弟もいるので、その内実は十兄弟十色なのだろうとは思うが、自分たちが兄弟とどのような関係性を築いてきたかは、自分の子どもが兄・姉として弟・妹にどのように接してほしいかに確実に影響するのだと思う。

たとえば対立の少ない兄弟関係だった人であれば、兄弟は仲良くして当然だと思う人が多いのではなかろうか。お兄ちゃんお姉ちゃんが穏やかなタイプであれば、それほどケンカはおきないかもしれない。

逆に毎日がバッチバチの戦争状態という兄弟関係であったのであれば、兄弟同士は喧嘩して当然だと思う人と、自分が理不尽な目にあったから、子どもにはそのような思いをしてほしくない(もしくはさせてほしくない)と思う人で分かれそうだ。

兄弟喧嘩に対する価値観は多様で、良い悪いも判断しようがないのだが、あまりに毎日目にすると、ありがちで、でもおそらく子どもにとってはあまりよくない対応になってしまう。

その最たるものが、お兄ちゃん・お姉ちゃんに一方的に我慢させてしまうというもの(おそらくもっとも多そうなケース)

先述したように一人っ子であったわたしは兄弟はどうあるべきだという兄弟観を、自分の経験を基には育てられなかった。

しかしちょっかいを掛け合っているいとこの姿をみていたので、手を出すケンカに対してはさほどアレルギーはなく、まぁ兄弟はそういうもんなんだろうな、ケンカの一つや二つ、大したことではない、もし上の子に兄弟ができたときは、上の子を一方的に怒ることはないようにしようと思っていた。

それがである。下の子が生まれてから、わたしは上の子の下に対するちょっかいに対して怒ることが毎日のルーティンワークのようになってしまった。
それもさらっと怒れたら少しはマシなのだが、ネチネチと「よくそんなことできるね」などと言ってしまう、一番気味の悪い怒り方をしてしまう。
そんなはずは、である。

なぜそんなことになってしまったのか。
一番の原因は、年の差である。5歳近く離れていると、正直ケンカになっていない(ようにみえる)。親から見ると一方的に下がやられているだけに見えてしまうのである。

実際には、上が自分の大切にしているおもちゃを投げられたり、なめられたり、結構ひどい扱いをされており、上の子は理不尽な思いを相当抱えてているのだが、大人は勝手なので「赤ちゃんがやることなんだから、それくらい大目にみてやってよ…」と思ってしまうのだ。

特に口頭で怒りを口にしているだけでは終わらず、手が出た時などはこちらの方がカッとなってしまう。

毎日同じようなやり取りが続くと、本当にいい加減にしてくれよと気になって、上の子はこんなに下の子に優しくできなくて将来大丈夫だろうかなど、(頁参照)考えても仕方のない未来に対する不安が生じてくる。

友人に相談しても、特に友人が穏やかな兄弟関係を築いてきた人だった場合、「さすがにそんなに離れている兄弟を叩くなんて、ひどくない?きつく言ってやめさせたほうがいい」などとアドバイスされ。

「やっぱりうちの子はまずいのか…きちんとしつけなければ」などと追い詰められる。

インターネットで【年の差 ケンカ】で検索し、「今からきちんと言い聞かせないと乱暴な人間になる」などという書き込みを見つけたときは頭を抱えた。

「優しい」人間になってほしい…けど

なぜ不安が生じるのかというと、わたしを含めて多くの人は自分の子どもに「優しい」人間になってもらいたいと願っているからである。

だから優しいと評価されるような行動を、兄弟に対してもとってくれると親は嬉しいし、逆にとってくれないと不安になったりイライラしたりする。

親は子どもの優しくない行動に対して、優しくしなさい、と注意をしたり時には叱ったりするが、子どもは簡単には優しい行動をできるようにならない。

それどころか、叱ることで余計下の子を叩くなど、優しくない行動がエスカレートする場合もある。

これは一体なぜなのだろう。

親から見て優しい行動ができないのは、自分の気持ちをないがしろにはできないからであろうか。5歳以上になれば、相手の気持ちも少しはわかってくるので、どういった行動が求められるのかはわかっている場合も多い。

それでも、子どもたちは自分の嫌だと思った素直な気持ちを止められず、親に抗っている。

自分の気持ちとは、たとえば「本当は下の子の方が悪いのに、お母さんはわかってくれない」「お母さんは下の子の方が大切にしている」「お母さん・お父さんをとられた」兄弟に対する嫉妬や、親をとられてしまったという不安感もあるだろう。

自分の気持ちを大切にすると、親から見ると優しい行動がとれない。優しい行動をとるためには自分の気持ちを押し殺したり、我慢することが必要だからだ。

したがって親が優しい行動を求めることは、自分の気持ちはいったん横において相手の気持ちを大切にしなさいと 言っていることと同じになってしまう。だから子どもは親に「自分の気持ちを大切にしてくれなかった」と反発する。自分の気持ちをないがしろにしてまで、我慢をして親が望むような優しい行動をとってくれれば親は満足、はたしてそれでいいのか。

力の差がある弟や妹に優しくすべきであるというのはもっともな正論である。
しかし正論頭ごなしに「優しくして」と言ったところで優しくならないのが人間である。

大人だって、苦手な相手にも優しくした方がいいよなんて言われたら、「こいつわかってないなぁ」と思って反発するであろう。

親は兄弟の関係性をコントロールできない

ところで兄弟関係というのはある意味で奇跡的で、さほど自分が我慢しなくても、自分の気持ちを優先しても許してもらえるという関係性となっている。

子どもが親に対してわがままを言い続けても結局は親は子どもを見捨てない、それに近しい関係性があるのだ。

一人っ子の私は、毎日ケンカをしている兄弟はさぞ仲が悪くお互いに憎しみ合っているのだろうと思っていたが、意外とそういう兄弟に限って仲がいい(もちろん違う兄弟もいるだろうし、過度な一般化はよくないけれど)。

仲がよくない場合でも、ぎりぎりのところではちゃんと助けてあげたりフォローしたりしている。

これには一人っ子のわたしはびっくりした。
もちろん一時的に仲が悪くなってしまい、それがこじれにこじれてというケースもあるので一概には言えないが、それでも幼少期は結構ひどいことをされても、ぶつぶつ言いながらもう次の瞬間には忘れて仲良くしているということも多い。

これが友人関係だったらいくら幼児期とはいえど、ここまでならないんじゃないかと思う。 年次が上がるにつれて何回もぶってくるような子はなんとなく避けられるし、威張っている子は嫌われる。

しかし兄弟には時には理不尽と思われるような、八つ当たりをしてもお互い様という雰囲気があるのだ。これは結構、いや相当に素敵なことだ。

ところがそれを親が変に、「兄弟仲良く」「優しくしなさい」と言ってしまうと、事態が変にこじれてしまうことがあると思うのだ。

もちろんうちの子たちのように、やはり年の差があって下の子はまだ小さく相手の気持ちを慮ることはできないということは都度伝えていけばいいだろうとは思う。理解してくれなくてもいいけれど、まぁそういうもんなんだよということくらいは伝えておけば、相手の気持ちを理解する手助けになるかもしれない。

たまに優しくしてあげるときに大げさにほめてあげると意外とまたやってくれるかもしれない。(やってくれないかもしれないけど)

お兄ちゃん・お姉ちゃんがあまりに親からすれば意地悪に見える場合、(親が死んでからの)将来仲良くやっていけないのではと不安に思う。

しかし兄弟同士が相互に何を思い、どのような関係を築いていくかなんて親がコントロールするべき案件の範疇を越えているのだろう。