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まなびかふぇひだまり3~能力へん~
作成日2026/3/5
更新日

ここは、まなびカフェひだまり。
今日もゆるく、でもちょっとだけ本気で、学びについて語ってみましょう。
登場人物
塾長:1979年生まれ。大学で教育学を学び、今は学習支援の仕事をしている。
佐々木さん:1989年生まれ。もともとは会社員。今はいろいろあって塾長を手伝っている。
山田くん:野球好きの大学生。勢いがある。
コミュ力、学力、現代は〇〇力が大好き?
山田くんすごく熱心に何の本読んでるの?
あ、塾長おはようございます。これっすか
すごいタイトルの本だね…
あ~、これ書いてる人よくテレビに出てる社長さんよね。塾長、今話題の本なんですよ。
そうなんだ。なんでその本読もうと思ったの?話題だから?
実は今気になってる女の子が前、「わたし人間力がある人が好きなんだよね」って言ってまして。
そしたら昨日本屋でこの本と出会ってしまったんですよ。
なるほどね。でもそもそも山田くんはその女性が想定する人間力、その本を書いてる人が想定する人間力、そしてわたしが想定する人間力は同じだと思う?
どういうことですか?
能力は目に見えないものだけど、わたしたちは能力がまるで人間に内在しているものと思っている。そして人間力だったりコミュニケーション能力だったり名前をつけるよね。
でも人間力なんかあいまいな言葉だし、想定している能力はおそらく千差万別だ。
たしかにそうですね。
コミュニケーション能力は本当によく使われるけれど
・営業に力を入れている大企業の社長が想定しているコミュニケーション能力
・大学の研究室で教授が学生に身に着けてほしいと考えているコミュニケーション能力
・サークルの飲み会を沸かせたい学生が考えているコミュニケーション能力
は全部同じだと思う?
さすがに違うと思います。
でしょう。でも不思議なもので、人間力・コミュニケーション能力などと同じラベルを貼られると全く同じとはいかないまでも似たような能力を想定していると思ってしまうよね。
能力は構成概念である
教育的な場面では、こういった目に見えない能力をどのように評価するのか検討されてきた。学力だって目に見えないものの一つだよ。
学力が目に見えない?出身大学の偏差値とかそういうものでわかるんじゃないんですか?
たしかに学力=偏差値と考える人もいるけれど、一方で本当の学力は偏差値じゃ測れないという人もいるよね。
学力ですら人によってちがうってこと…?
教育や職場では、能力やパーソナリティ、学力などの目に見えないものを評価してきた(松下,2021)*1。この目に見えないものを「構成概念」という。構成概念自体は目に見えないので測定・評価は工夫しないとできない。
そこで、テストやレポートの提出、行動など観察可能なものを評価して、その人に能力があると推察しているんだ。
なるほど、能力は体重みたいに機械で測れるわけじゃないもんね。
目に見えないから目に見える観察可能なものから評価してるってことか。
抽象的な能力の評価ーその問題は?
○○力というのは現代になって言われ始めたことではないけど、近年の特徴としては教育の現場でそういった能力を育てようという動きが全世界的にすすんでいるという点だ*2。
たとえば、経済産業省の社会人基礎力(下画像)は、各大学の教育目標に影響していたりするよ。
学習指導要領で資質・能力(コンピテンシー)の育成が重視されているけれど、これもそのながれにのっているといえるね。
ずいぶん抽象的な能力の育成が目指されているように思いますね。
たしかにそうだね。
でもなんだかこういう抽象的な能力が評価されるっていいことなのかなぁって思っちゃうんですよね。
なんで?でも“主体性”とか“協調性”とか“誠実さ”とか、“良い”方が絶対に望ましいじゃないですか。
だったら評価することも、いいことなのでは?
うーん、たとえば数学力がないって言われても、頑張って勉強しようってなるか、あきらめちゃうかだけどさ。 こういった自分の性格にかかわる部分の能力がないと言われるのは、 評価されたときの傷つきが違うというか。
たしかに・・・
佐々木さんの懸念は最もで、○○力は場合によってはその人の人間性までをも評価する可能性を有しているんだ。
教育目標としてはたしかに崇高にみえるけど、実際に評価するということは慎重に考えないといけないと思うよ。
職場などでは人格を含めた能力の評価というものがなされてきたとは思うけれど、これを教育の現場にまで拡充していくべきなのかは問われるべきだ。
学校教育での能力の評価はどうあるべき?
そもそも学校教育というのは誰が学力的にみて優秀で、だれが優秀ではないという垂直方向での序列を決定する機能を有してきた。
一方でそれはあくまでテストで測定できるような学力(学習の到達度)にとどまっていたといえるかもしれない。
客観的に評価しやすいものね。
学力が人間性や学びに対する態度にまで拡張され、評価されるということは一見いいことのように思えるけれど、学校は子どもにとって安心して学べる場所でもなくてはいけないわけだ。
学習の達成度だけではなく、人間性や学びに向かう態度までが無尽蔵に評価される場で、子どもたちは安心して学ぶことができるかな?
なんだかいい方向に行くというよりは、教員が望むような行動を表面的にとったり、画一的な価値観が正しいとされる危険性もあるよね。
あとなんか個人のよさがないがしろにされる気もする。
評価する危険性をわれわれ大人は自覚しないといけないのかもしれない。
なるほど、われわれの評価に対する評価力がとわれているってことぁ~
参考文献リスト
- 松下 佳代. (2021). 測りすぎ時代の学習評価論. 勁草書房.
- 松下佳代. (2010). 序章 〈新しい能力〉概念と教育-その背景と系譜. 松下佳代 (編), 〈新しい能力〉は教育を変えるか (pp. 1–42). ミネルヴァ書房.
- 経済産業省. (2006). 社会人基礎力に関する研究会「中間取りまとめ」. https://www.meti.go.jp/policy/kisoryoku/index.html (2026年3月5日アクセス)
より深く学びたい方におすすめの本
暴走する能力主義|中村高康
抽象的な〇〇力が謳われる現代の状況を批判的にみた著書。なぜわたしたちは〇〇力を求めてしまうのかーその構造を分析しています。
測りすぎ時代の学習評価論|松下佳代
教育成果・学習成果の測定・評価がとにかく要請される時代に 教える側と学ぶ側の両方にとって評価を意味あるものにするためには何が必要なのかを教えてくれます。
多元化する「能力」と日本社会 ―ハイパー・メリトクラシー化のなかで |本田由紀
人間の人格や感情の全域にまで評価の目が及ぶ「超・能力主義」な社会状況をハイパー・メリクラトシー化としてとらえた、 現代の能力論を語る上では必ず引用される著書です。能力に関するレポートを書くなら必読かも。